Taka(@takapiece)です。
昨日風呂から上がる時にふと思いついたことを書いただけですw。
わいてくることそのまま書いてるので基本スルーしてください。
自分でも何言ってるのかわかんないので。。。
こういう「自分が言ったハズなのに言った覚えがない」
文章も「せっかくなので載せる」スタンスでいきます。
自分の考えが世界で1番正しい
ある意見が正当性を持つのは
その意見を発信する側と受信する側が
同じコミュニティーに属していると言う条件がある。
ある意見は
あるコミュニティーにおいて正当性を持つが
あるコミュニティーにおいては全く意味をなさない
ということが起こる。
意見を共有するには、共通する思考基盤が必要だ。
大昔なら町や村、国といったところだろうか?
だが現代はそうではない。
個人個人はあらゆる種類のコミュニティーに属している
オンラインオフラインを問わずに。
そうなってくると同じ場所、同じ時間に存在しているにも関わらず
一つの意見の正当性は担保されない。
今世の中に発表されている法則法律あらゆる規則は
この時間軸この空間軸においてのみ適用される。
現代はインターネットによって
その範囲が極大化されるとともに、細分化されている。
そう考えるとそもそも「正しい意見」「正しくない意見」というものは存在しない。
「その意見はこの範囲の影響力がある」という区切りになる。
つまり意見の判断基準は「正しい」「正しくない」ではなくどの範囲、時間、空間のコミュニティーに影響力がある意見なのか?
という基準である。
意見範囲の細分化の究極は自分自身だ。
自分の意見は自分自身と言う範囲に限れば絶対的に正しい意見と言うことになる。
逆に他人の意見と言うものは多かれ少なかれ自分にとっては100%の影響力はない。
はっきりってしまえば自分はそのコミュニティーには属していないと判断すれば、他人の意見の影響力は0%と言うことになる。
自分にとって自分の意見は100%自分に影響力があるのだから
自分に不都合な意見を持つ事はやめたほうがいいと言うことだ。
よく言われることだが「反省はしても良いが後悔はしない」ほうがいい。
簡単に言うと
「自分はできる奴だ」と言う意見と
「自分はできない奴だ」と言う意見が自分の中で対立している時
受け入れるべきは「自分はできる奴」と言う意見一択ということになる。
ところが多くの人は自分に全く影響がないはずの他人の意見に従い
自分に不都合な意見を採用する場合が多い。
不可解ではあるがそれが習慣になっていて
全く気づいていない場合がほとんどだ。
つまり歴史は繰り返される。
繰り返したくなければ違うコミュニティーに属すればいい。
「周りの人間の平均年収が、自分の平均年収になる」のは有名な話。
しかしそれだけでは、ただ単に違うコミュニティーの意見にコントロールされるだけだ。
一番正しいとは、一番影響力があるということ。
だから真に必要なのは自分の考えが自分にとって、
世界で1番正しいということを理解することだ。
それは100%の影響力なのだから。
そうすれば自分が平和である限り世界が平和になる。