こんにちは!
不幸病に侵されていた、Taka(@takapiece)です。
今日ブログのプロフィールに写真を入れるべく、朝からガサゴソと押し入れと格闘していました。
見つかった写真は幼児~小学校~中学校~高校。
そこから先は携帯の写真機能がなかったもので・・・
(-_-;)年代・・・
そうこうして、写真を吟味しているとその時の思い出がよみがえり・・・。
「あ、おれって、こんなにイロイロな人たちと関わりあえたんだ」
「みんなのおかげで、いい思い出が沢山あるな~」
と、改めて気付くことができました。
自分は不幸だと定義する手順
ぼくの両親はぼくが物心ついたころに離婚しました。
そんなショックを抱えたまま、しばらくは親戚の家を転々とし、祖母の家に引き取られました。
祖母は働きながらぼくを育ててくれたのですが、家にはしょっちゅう借金取りがきて大喧嘩。もちろんトバッチリがきます。
要するに両親に捨てられた上に祖母にもきつく当たられるので、「居場所が無い、頼る人は居ない」と心の居場所を無くしてしまっていたんですね。
なので、心の隙間にばかり目が行く人間が出来上がったわけです。
自分は孤独で不幸なんだと。
客観的に観るとそんなに不幸でもない
そもそも、育ててくれる人が居るだけでラッキーです。
「めちゃめちゃ心閉ざしてやる!」って思ってたけど、なんだかんだと友達はいたし。マジげんかもしたけど、いっぱい遊んだし。
どっちかっていうと、おとなしくて暗いぼくとみんなよく遊んでくれたな~。よく育ててくれたな~。と思います。
もちろん、そんなこと子供心には思えなかったですけど。
当たり前ですけど、やっぱり大半のこどもは世界が狭いと思います。
それが、こどもなんだと思います。
おとなはそれに気づかないと、イライラするだけでお互いを傷つけることになります。
フォーカスしていることが自分の真実
「自分が不幸だ」ということに心がフォーカスし続ける限り、実際不幸です。
不幸な思いでばかりよみがえり、目の前に起こることを全て不幸な過去と関連付けるからです。
ところが、「そんなことばかりでもなかった」という気付きが得られると、心が「自分は幸せだ」ということにフォーカスし始めます。
良い思い出と現実がリンクし始め、実際幸福感が感じられます。
目の前に起こることに良い悪いは無く、ただ起こるだけ。
それに「良いこと悪いこと」という色を付けるのは自分自身ということですね。
内観療法
もし、今不幸感にやられているなら、昔の写真をほじくり返すことを強烈にオススメします。
写真が無いなら、じっくり思い出すのでもいいです。
それは内観療法に通ずるからです。
病院で行われる場合と、民間の研修所で行われる場合があり、以下は標準的な研修所で行われている方法である。 母、父、兄弟、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わりを、 してもらったこと して返したこと 迷惑をかけたこと の3つのテーマにそって繰り返し思い出す。
内観療法ってなるとかなり大仰ですし時間がかかりますが、アルバム整理がてら昔の写真を眺めるだけで内観の効果はあります。
軽くリフレッシュするつもりで写真を眺めていると、意外なほど気分が良くなるかもしれません。
特に「自分が不幸だった」と思う頃の写真を眺めると新たな発見がありますね。
注:客観的に観られないというほど心がこじれている場合はやめましょう。