20代半ば。
僕は人生に迷い、立ち止まっていた。
気のいい人たちが働く職場で働いていたけど、労働条件はかなりブラックだったので、僕は上司の反対を押しきって転職したところだった。
転職といっても、実質独立して仕事をしていた。
自己管理もままならないのに、友達の勧められるまま苦手な仕事を続けていたので、うまくいくはずがなかった。
僕はとうとう仕事に行き詰まってしまい、妻ともうすぐ生まれてくる子供を日本に残してインドに11日間の旅に出た。
ほら、よくインドに行けば人生観が変わるって言うじゃない。
僕はとにかく人生を変えたかった。
インド11日間の旅で人は変わるのか?
今考えてみれば
お前バカじゃね??
もうすぐ子供生まれてくるのによっ!
インドなんて言ってねぇで、
さっさと転職しろ!
と爽やかにアドバイスできるんだが、
当時の僕は行き詰まりすぎて、頭がおかしくなっていた。
聞いたことがある人もいるかもしれないが、当時サティア・サイババと言う人物がブームになっていて、「どうせインドに行くなら一度会いに行かねばなるまい」となぜか思いたってしまった。
結局、日本でサイババと親交のあるグループと一緒に僕はインドに旅立った。
インドへの旅路
日本から乗り継いでインドの首都デリーまで行くんだけど、途中の空港では自動小銃を持った兵士が普通に歩いていた。
今はIT大国で知られるようになったインド。
僕には未知の国インド。
死体の流れる川で沐浴し、洗濯もする。
デリーに着いて、そこからバスで何時間も移動した。
当時デリーの街には信号が無く、とんでもない量の車がとんでもない接近戦で道を往来していた。
メチャメチャ心臓に悪かった。
バスは町を抜けた後、異様な速度でだだっ広い荒野走っていく。
時折、頭をぶつける位バスが飛び跳ねていた。
「このまま死んでも全然おかしくないな」と思った。
途中トイレ休憩でバスを降りた時、ちょうど朝日が昇ってくるところだった。
地平線には何も見えず、まるで永遠に広がる海のようだった。
そこに神々しい朝日だけが昇ってきた。
遮るものが何もない素晴らしい朝日を目の前に、僕は立ちションをした。
とても清々しい気分だったが、端から見るとおっさんたちが立ち並んで立ちションをしているだけである。
何気なく後ろを見上げると
~まで800㎞
~まで500㎞
~まで1100㎞
なんていう、日本だったら
「それって、もう海の上ですよね」
っていう道路標識が立っていて、また始まるバス地獄を思い出した。
すばらしく清々しい気分だったのに、すっかり凹んでしまった。
そしてバスは当時サイババが住んでいた避暑地にたどりついた。
インドでの祈りの日々
現地での生活は基本こんな感じ
- 早朝マントラを唱えながら祈りを捧げる
- 食堂の朝食の準備を手伝う
- ベジタリアンの食事をいただく
- サイババのダルシャンに出る
- 周辺の散策をする
- 夜は早めの就寝
早朝マントラを唱えながら祈りを捧げる
確かにこれは崇高で素晴らしい気分になった。
でも、今の僕なら風呂に入りながら少し目をつぶって伸びをすれば、さらに素晴らしい気分になれる。
我ながら成長したなぁ。
朝は決まって食堂の準備を手伝った
朝っぱらから、わけのわからない量のじゃがいもの皮を永遠にムキムキした。
英語はしゃべれないからフィーリングで会話をしていた。
そしたら突然、白人の女性にとてつもなく嫌な顔をされた。
英語ちゃんと勉強しとけばよかったなぁと後悔した。
ベジタリアンな食事
食事をする場所は
「西洋風の料理を提供する場所」と
「中華風の料理を提供する場所」に分かれていた。
僕は毎日西洋風の料理を食べていた。
列に並んで歩いていくと、欲しい料理を皿の上に乗せてもらえる。
「ハーフ」とか「クオーター」って言えば量も選べた。
当然ながら肉は入っていなかったけど、結構うまかった。
水は食堂にある浄水器の水や、店で売っているりんごジュース以外は口にしなかった。
入院するほど腹を壊すと言う話を聞いていたからね。
ところが、旅の道中では大丈夫だったけど、
結局日本に帰ってから
「オレ、もう死ぬのかな?」
と思うくらい腹を壊した。
水、大事。
ダルシャンと祈り
ダルシャンとは
ヒンズー教の言葉で「偉人や聖人に会って得られる精神の高揚」の事。
- 神の御姿を拝見する
- 祝福を受ける
という意味で使われているようだった。
要するにサイババが広場をぐるぐる回って、みんなからの手紙を受け取って願いを聞いたり、たまに手からビブーティー(聖灰)を出したりして、「みんなありがたいね」という時間と場所。
ここに来る多くの人たちは、サイババに手紙を受け取ってもらえれば、悩みが解決したり願いが叶うと思っている人たち。
皆、必死に手紙を渡そうとしていて、手紙を渡すことに成功した人やビブーティーをもらった人たちは涙を流していた。
サイババは、まれにインタビュールームに数名招き入れることがある。
呼ばれた人たちはサイババとパーソナルな話ができるとあって、インタビュールームに呼ばれた人たちを皆羨望の眼差しで見つめていた。
僕は呼ばれなかったけれど、同じグループのリーダー達はインタビュールームの中に入っていった。
出てくると「指輪を物質化してもらった」と言うので見せてもらった。
普通の指輪だった。
「これ、出したんか~。」と思った。
僕は割と小さな頃から超能力とかに興味があって、そういった系の本を読み漁っていた時期があった。
さらに僕の友達の中には、普通に「人間や動物の幽霊が見える子」と金属に限らずプラスチックなんかも「自由に曲げられた子」がいるので、超能力に対して「すごい」って言う意識がない。
ついでに言うと僕は高野山大学に通っていた。
さすがに物質化できる人はいなかったけれど、普通にモノを手を触れずに動かす人がいたので、さらに「すごい」って言う意識がない。
そういう人たちは、僕の中で
「めっちゃくちゃ足の速い人」とか
「耳を高速でピクピク動かせる人」
位の立ち位置なんである。
確かに、凄い。
サイババの物質化はイカサマだとか詐欺だとか言われていますが、僕はどっちでもいいと思ってる。
結局信じているみんながどう捉えてどう変化していくのか、それによって社会がどう変化しているのか、の方が大事なことだから。
実際信者の人たちに暴力的な人はいなかったし、積極的にボランティアをしていた。
日本人だとあまり気にならないかもしれないけど、凄いと思う。
サイババの財団が建てた立派な病院は無料で医療活動しているし。
あまりよろしくない噂話しもあるけど、それはマザーテレサなどの偉人も同じ。
散策と祈り
滞在期間は1週間程度で昼間時間があるときは僕は施設の中を散策したり、外に出て周りを歩いた。ボランティアの皆さんが、毎日毎日道路を作ったり泊まる施設を増設したりしていた。
僕が行った当時、サイババの施設は常に大きくなっている様子だった。
施設内にはいたるところに「聖なる像」みたいなのがあって、僕は祈りを捧げていた。
「欲望を消してください」とか
「心に平和を」だとか、
僕が神様なら
「自分でなんとかしなはれ」
ということばっかり祈っていた。
今思うとこっぱずかしい祈りを沢山していたねぇ。カワイイね。
道を歩いていると犬の散歩するようにゾウの散歩する人がいた。
今ならスマホでバシバシ写真を撮っているところだろうけれど、持っていなかった。
っていうか世界に存在してなかった。残念。
物乞い
そして今でも目に焼きついて離れないのが、手足のない子供たちが列を作って物乞いをしていた風景だ。
聞くと、その子供たちは「物乞いをするために手足を切り落とされている」と言う話だった。
インドの貧困な地区は働く場所がない。
当然ながら物乞いが多い。
五体満足の物乞いより、手足が無い物乞いの方が稼ぎがいいから、観光客から同情を引くために手足を切り落とされる子供たち。
この旅で、僕は世界の現実を見た。
時々忘れそうになるけれど、日本は本当に平和で素晴らしい国だと思う。
空港の検問に銃を持った兵士はいなし、物乞いの為に手足は切り落とされない。
そりゃー探せば暗い部分がたくさん出てくる。
でも、それでも明るい部分の方ががたくさんある国だと思う。
国というのは大きな街でできている
大きな街は小さな街でできている
小さな街は小さな家族でできている
家族は人間一人一人でできている
素敵な人が多ければ素敵な国になるのは当たり前だ。
ベッドイン
夜になると明かりがほとんどない。
もちろん電気は通っているが、繁華街なんかない。
あったとしても、当時の僕はそんなところに行く心境ではなかった。
シャワーを浴びてさっさと寝るだけだ。
ちなみに、インドでの服装は現地で買った衣の服1枚。
僕が行った場所は常に乾燥していて、知らない間に脱水状態になってしまうくらいの場所だったので、服を洗ったとしても薄手のものならものの数分で乾いてしまった。
時折スコールが降る。
結構濡れたなぁと思っていても、気づいたらすっかり乾いている。
だから気をつけて水分が取るようにしていたんだけれど。
毎日うんこはカッチカチだった。
インドに旅立ってどうなったか?
結論から言うと、特に何も変わらなかった。
どこかの場所や・人や・モノに自分を変える力があるだなんて思いこむのは、若者にありがちな妄想だ。
どこに居たって、誰と会ったって、どんなモノを手に入れたって、自分を変えていけるのは、結局自分だけだ。
もし「何かが自分を変えた」というのならば、「自分の中で準備が出来ていた」ということでしかない。
だけど何か行動を起こすことができれば、それは良い経験になる。
どんなことでも何かを経験して、それについて悩んで苦しんで楽しんで喜ぶ。
そういうことを繰り返していれば、どこかに行ってもどこかに行かなくても、人間というものは成長していくものだと思う。
行動すれば、知らず知らずに準備が整っていく。
誰かと比べてしまうと、心が締め付けられるように苦しい時があるかもしれない。
でも、自分にできることといったら「昨日より今日、今日より明日の自分が楽しく生きられるようにする事」くらい。
昨日の自分が「ガキだったなぁ」と思えればそれでいいんじゃないだろうか?
僕は去年の自分のことなんか「もう恥ずかしくて仕方がない位ガキ」だと思ってる。
実際そうだし。
来年も再来年も死ぬまでそう思うのだろう。
僕は未だ誰のことも幸せにできていないが、隣に立って一緒に悲しみや幸せを感じることくらいはできる。
そうやって「ガキんちょ」が「ガキ中将」ぐらいになれたら、手の届く範囲の人くらいなら幸せにできるんじゃないだろうか?という希望を持って生きている。