NO FLIGHT,NO LIFE

好きなことで生きていく

Takaのプロフィール

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好きなことで生きていく

Taka(@takapiece)です。

 パラグライダーのインストラクター業で暮らしています。

いや~、空飛んでるとホント気持ちいいですよ。w

 

僕は知識・経験0%の状態から、パラグライダー・インストラクターになりました。

 「明日死ぬとして、俺は今何をしたい?」

と思ったからです。

なぜ、そう思い立ったのか?

なぜ、最初からそう思えなかったのか?

 

生い立ち

和歌山に生まれる

幼児のころはそこそこやんちゃ坊主だったようです。

隙あらば壁とタタミに落書きして、障子をやぶってました。

 

歩行器で爆走するのが大好き。

 

そして、爆睡。

 いや~、このころはおおらかだったな~。

4歳のころ両親が離婚

親が離婚した直後は泣いてばかりいました。

幼少~小学生は結構ダークサイドに落ちてましたね。

自己表現が苦手な、いわゆる自分のカラに閉じこもる子供になりました。

祖母に引き取られる

父親の実家や親戚宅を転々としていましたが、独り暮らしの祖母に引き取られました。

絵にかいたような昔ながらのボロ長屋で、雨漏りとネズミがすごかった。

まあ、あれです、気分はくわえタバコ。

 

ヤマトよりガンダムより銀河鉄道999が好きな内気な男子。

↑今でも持ってる廃版商品、アニメ好きだったのです。

良く絵を描いていましたね

小学生の頃はとにかく暗いこどもで、本ばかり読んでました。

って言いながら、笑顔の川遊び写真。。。スキッ歯は今でもコンプレックス。

 

一日中家にこもって本を読んだり、パズルをしたりが大好き。

一日中外に出て川に行ったり、海に行ったり、山に行ったりが大好き。

・・・子供のころからインドア系アウトドア派でした。

 

田舎で本当に良かった。

I love 和歌山。

アレルギー・喘息

小学生のころ、アレルギーで汗のかくところの皮膚は酷くただれていました。

しかも喘息で年中ゼーゼーいってました。

 

  • 一年中続くアレルギーの発疹とぜんそく
  • 母親はどこにいるのかわからない。
  • 父親はたまに来たと思ったら、はあちゃんの小言をきいて自分をぶん殴る。
  • ストレスによる肩こりと虫歯

 

このころは、なんだか生きてるのがしんどかったです。

死んだら楽だろうなと思ってました。

中学校時代

バスケ部・・・は即退部。

基本的には運動はニガテだったことと

「変に偉そうな先輩」とか「年中キレてる先生」とか大大大嫌いだったので。

 

ただ、なんでか忘れましたがこのころに「走る」ことにハマってしまって・・・

ランナーズ・ハイな状態が普段のストレス・フルな状態を緩和してくれたんだと思います。

だから、走った。

 

・・・疲労骨折で脚の骨にヒビが入るくらい走った。

喘息の人は我慢強いと言われてるのは本当だと思います。

しんどいのが普通だから。

 

でも、それがいけない。

我慢強いっていうことは、自分の思った通りにならない状態をキープできるってことだから。

しんどいままで生きていくということだから。

それに慣れてしまうと自分の気持ちがわからなくなってしまいます。

 

走ることにハマった結果。

小太り兄ちゃんが、頬がコケるくらい激やせ兄ちゃんになりました。

なんだかこの時、ちょっとだけモテました。

「なんだか、運動って超楽しい」と思えました。(*´▽`*)

 

今はおかげさまで、ノン・ストレスなのでまったく走っていません。

だから、こんなことになるんですね。

【健康診断】「メタボ」頂きました!

みなさん、気を付けましょう。w

 

英語がしゃべれないくせに英語がすき

ぼくは英語が好きです。

音楽とか映画のセリフを聴いていると、なんだかカッチョいいから。

 

ぼくはけっこう勉強が嫌いで、中学校の成績は直滑降でダダ下がりでした。

 英語のテストは基本的に0点。

「俺の人生、英語なんて使わねぇ!」

なんて思ってました。

 

そんな時、洋楽にハマり・・・

(a-ha,Michael Jackson,Nena,Madonna,Culture Club,Wham!,Cyndi Lauper,Bryan Adams,Duran Duran,Steavie Wonder・・・Bonjovi!)

例えばこういうの。

毎日聴いて、歌ってたら

英語の成績が0点から100点になりました。

ハマるって大事ですね。

 

ただ・・・

今でもフィーリングでしか英語がしゃべれません。(爆)

仕事で海外のお客さんとの会話をするんですが、iPhoneが手放せません。

 

走ることにハマり、

洋楽にハマり、

少し社交性を取り戻した僕は、合唱コンクールで指揮者を務めることに。

 

この時、

「ああ・・みんなで何かを目指すって、楽しいんだなぁ」

ということを知りました。 

高校時代

社交性を取り戻しつつあったものの、まだまだ内気で気弱な自分

自信がないもんだからとっても声が小さい。

誰かに目の前で話しかけても「えっ?なに?」って何度も聞き返されるくらいに。

 

もっと自主性を取り戻すべく、デカい声を取り戻すべく、部活に入ることを決意しました。

 

運動部は中学の時イヤになりましたから、却下。

自己表現がニガテな僕はあえてニガテなことをしようと思いました。

そこで、演劇部に入部。

極端な選択ですけど、中学の合唱コンクールでみんなで何かを作り上げる楽しさを知っていたので不安よりワクワクが勝ってました。

 

演劇の大会前には夜中まで(本当に夜中まで、書けないくらい夜中まで)練習していました。

地区大会・県大会を突破し、近畿大会に出場した時の感動は今でも覚えています。

それは一人では決して味わうことができない風景でした。

 

極真空手

高校1年の時、友人が極真空手を始めたので一緒に道場通いを始めました。

そう、演劇部と掛け持ち状態です。

 

この頃筋トレを始めました。

おかげで激やせ兄ちゃんからマッチョ兄ちゃんに変身したので、第一回目県大会の18歳以下で優勝させていただきました。

左端がぼく。疲れ切っとるな~。

空手の練習は黙々と、時には倒れる寸前までがんばってました。

 

こうして、黙々と練習して技術や体力が向上するのも楽しいし、皆でわいわい創り上げるのも楽しいという・・

モクモク系ワイワイ派が完成しました。

 

筋トレで鍛えてるせいで、学園祭のたこ焼き屋には妙にイカツい兄さんが出現。

男子が演劇部って結構バカにされることあったんですが、マッチョなおかげで演劇部がバカされることはなくなりました。

内気で気弱なみんな!演劇部に入って筋トレしよう!!

大学時代

部活は裏千家茶道部

友人と共に「中千家」を名乗り毎日茶室に通う日々。

 

真剣モードの時は高野山大師教会本部にてお点前を行う。

 

ただ、このころは人生に迷っていました。

高校時代の友人や後輩達のおかげで社交性も体力も向上したんですが、それをどう生かしていいのかわからずにいたんです。

人の顔色を見て我慢する生活が長すぎて、自分がなにをしたいのかわからなくなっていたんですね。

フラフラとただ日々を過ごしていた気がします。 

訳も分からずにイライラして、危なかしく車をぶっ飛ばしてました。

・・・軽自動車ですけどね。

 

今思えば、このころもっと自分と向き合っていたら・・・と後悔しています。

 

高校・大学で悩んでるみんな。

自分のホンネをさがして、後悔のない選択をしよう。

 

社会人

ぼくは社会人になってから何度も転職しています。

配送+営業職

最初の仕事は配送と営業がセットのお仕事。

勤務時間が今で言うブラックな一日18時間

朝6時に家を出て、帰りは午前様。

 「石の上にも3年」という言葉を信じて3年頑張りました。

でも、こころもからだもボロボロになって退職することに

ルート営業

この仕事は自分が自営業者で、本部から原料を買い付けてルート販売するもの。

時間が自由になりすぎて、自己管理能力に欠ける働きっぷりで挫折

自分の販売するべき商品自体に大きな疑問を持ってしまったのが大きな原因ですが、そもそも自営をするなら自分の中にハッキリと目的と目標がないとうまくいきません。

飲食店

これまた時間がブラッキーでしたが、なんと10年勤めました。

忙しいのは嫌いではなく、スキルアップするのも楽しかったです。

しかし、店長職はオープンラスト(開店~閉店)勤務が基本なので、勤務時間は長い時で朝9時~深夜3時、ときどき5時。

これまた一日18時間

休みの日も店が気になるので旅行には行けません。

最終的に体を壊して退職しました。

さらに転職を繰り返す

その後も僕は営業職、飲食店を渡り歩きました。

 

なぜ、うまくいかないのか?

 

それは結局、自分がどう生きたいのかわかっていなかったからです。

結婚をして子供もできたので

ただお金を稼ぐ手段

という見方で仕事を選んでいました。

 

もちろん働き始めれば

「お客さんの為に」

「会社の為に」

「家族の為に」

いろんな「為に」働きましたし、やりがいも感じていました。

でもそこに「自分の為に」が無かった。

「こうするべき」という言葉に縛られ、「低い欲求」に流され、「自分が本当はどうしたいのか?」ということを真剣に考えることが無かった。

 

長い間自分について考えてこなかった僕は、自分のことが良く分からなくなっていました。

 

よくわからなくなった僕はこう考えました

「明日死ぬとして、俺は何をしたい?」

 

 とにかく、今までやったことが無いことをしたかった。

10年間あまり外に出歩かない日々をすごしたので、「今度は思いっきり外に出てやろう」と思いました。

 

 こうして40歳の時、突然パラグライダー業界に転身。

僕はやっと、仕事を選ぶときに「ただお金を稼ぐ」手段ではなく「自分を生きる手段」として仕事を選ぶことを選択し始めました。

40歳にしてやっと、一歩踏み出せたわけです。

 

だから、10代~30代で悩んでいる君は大丈夫。

どんなに先が見えなくても、自分と話をするきっかけを掴めばきっと目の前が開けてくるから。

 

そしてやっとこせ自分で自分の道を歩き始めた僕は、「自分を生きるって、好きな時にホントに好きなことができることなんじゃないかな」と思うようになりました。

だから僕は今「好きなことで生きていく」について考えています。

Takaの特性

ずっと何かを教えてきました

  • 空手の道場では子供たちに空手指導
  • 演劇部では副部長として演技指導
  • 20代はルートセールスの新人指導・教育
  • 30代は飲食店店長としてスタッフの指導・教育
  • 40代はインストラクターとして生徒さんの指導

考えてみたら、ずっと何かを教えてきました。

PC歴は35年

白黒画面でデータ保存がカセットテープ時代からパソコンを触っているので、同年代の中では知識豊富な方だと思います。

 

個人でショッピングサイト制作のお仕事を受けていた時代あります(サイト制作・運営ノウハウ付)。

今の職場ではWEBサイト制作やSNSのマーケティングを行い、年々成果が上がっています。感謝

音楽が好き

Youtubeは神です。

とくにアーティストのPVが大好きです。

ごくたまにギター弾いたり、キーボード弾いたり、歌ったり。

写真が好き

主に空や夕日の写真をアップするインスタグラマーです。

 

https://www.instagram.com/p/BMRGWtgDZIP/

虹雲の炎を見物に。#sky #cloud #paragliding #rainbow #fire #空 #雲 #パラグライダー #虹 #炎

空好きならフォローミー!

演劇魂が残っているようです

演劇部時代に「みんなで何かを作り上げる楽しさ」を知った僕。

 

高校を卒業してから自主演劇公演をしたときに、その時のメンバー全員がエキストラでの映画出演依頼されました、部長が断ってなかったら何人か俳優目指してたかも?

 

映画「ちはやふる」に、とってもとっても出たいです。(本気) 

映画「ちはやふる」下の句を観て、「映画の中に入って行きたい!!」と思った件 - N

※ホントに出ちゃいました。

映画「ちはやふる」のロケに行って来ました! 

 

精神世界の探求をしていたことも

幼少から複雑家庭だったこともあり、おっとりした性格ながら時折キリキリとした精神状態に陥ることがあった20代~30代。

生きる意味をさがして試行錯誤の日々。

 

20代の半ばにはインドに旅立ち、サイババのアシュラムで過ごした日々もありました。

精神世界本や自己啓発本は100冊以上読破しましたが、文字の中に答えは無く、なにも変わらない日々。

 

相当な紆余曲折ののち、結局

自分の中にしか自分の答えは無い

のだと感じるに至りました。

 

ブログについて

ブログは「自分を求めてくれる人と自分をつなげてくれるモノ」だと思います。

自分が提供できる価値をブログで発信していくことで、「求められるから提供する」という仕組みを作ることができる可能性があります。

つまり「自分の価値が仕事を創造する」ということです。

自分の知識や体験が誰かの役に立って仕事になるなら最高ですよね。(^^

 

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どうぞお気軽に、僕も気軽に答えます。

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